経済学の用語で言えば、効用を与えなければならない。
しかし、それだけではダメである。 原価割れのサービスを提供したら、効用は与えられるが利益はあがらない。

与えた効用より原価が安くなければ、すなわち、付加価値を生み出さなければ、喫茶店は利益をあげることができない。 喫茶店に限らない。
カネが儲かるということは、付加価値を生み出して社会に貢献していることころが、自由な経済活動が行われていない封建制の下ではどうなるか。 コーヒーのような新しいモノが領内に持ち込まれたら、まず、政府の役人が味見をする。
たまたま、その人の好みに合わなかったら、コーヒーは御禁制になって領民の目に触れることはない。 領民は、コーヒーに価値があるかどうか、判断するチャンスを与えられないのである。
これでは、身の回りに価値のあるモノやサービスは増えず、経済は成長しない。 彼らにも、住み慣れた家を離れたくないという言い分はあるだろう。
しかし、社会全体にとっては、繁華街の貴重なスペースをムダに使う迷惑な存在である。 こぎれいな喫茶店でもやってもらった方が、便利にもなるし、街の景観もよくなる。
日本では、どうも、カネ儲けは公共の利益に反すると思い込んでいる人が多い。 反対である。
利益をあげられない商売は、世の中の役に立っていないのである。 世の中の役に立つモノやサービスであれば、必ずカネを払う人が現れる。
もちろん、世の中には詐欺的な方法でカネ儲けをたくらむ連中も大勢いる。 それを擁護するつもりは毛頭ない。
しかし、規制に守られて役に立たない商売を続ける人たちがもたらす損害の方がはるかに大きいと私は思う。 たとえば、ある雑貨屋では、1日に300円の雑誌が5冊、200円のタバコが10箱しか売れなかったとする。
この雑貨屋は、社会全体に対して1日に3500円の効用しかもたらさない。 小さい雑貨屋。

軒先には公衆電話があって、薄暗い店内で婆さんが店番をしている。 東京の新しい繁華街は、20年くらい前までは住宅地であった。
ああいう雑貨屋をやっている人たちは、昔からの住人である。 借地借家法に守られているから、何十年も前から変わらない、ものすごく安い地代、家賃しか払っていない。
だから、ほとんど儲からない雑貨屋をヒマつぶしにやっていられる。 となりのラーメン屋は、同じ面積で1杯500円のラーメンを60杯売って、3万円の効用をもたらしている。
こういう非効率的な土地の使い方をしている雑貨屋が東京にはたくさんあります。

墓地 お彼岸の事柄についてよく知っている表現者が、墓地 お彼岸の事をまったく知らないか、よくは知らない相手に対して事柄を整理し、順序立てて分かりやすく説き明かす文章を説明文といいます。

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